オードリー若林「もうすぐ、マウンティングがダサい時代が来る」 「ナナメ」とサヨナラした男が思うこと

おじさんになって感じた「変化」

「もう間もなく、マウンティングはダサいことになると思うんですよ。どんだけ自分が没頭できるものを持っているかということが大事な時代に、そろそろなってくる気がしています。

若い人たちがナナメに構えがちなのはわかります。ネットだと特にそうなんでしょうね。でも、そういう人たちは世間の変化にも敏感だと思うので、どんどん変わっていくんじゃないかな。ただ僕がそう願っているだけかもしれないけど……」

漫才コンビ、オードリーの若林正恭。新著『ナナメの夕暮れ』が、10万部を超えるヒットになっている。エッセイ集のタイトルは「20~30代はナナメに構えていたけれど、そんな青春が終わっていく感じが、夕暮れを思わせた」ところからつけられた。

ナナメはもう、終わりにしよう――。

一見して変人の春日(俊彰)に対して、大人しそうな童顔で、ちょっと斜に構えた若林。絶妙な関係性の「ズレ漫才」とキャラクターで人気になった売れっ子芸人は、最近そう考えるようになった。

9月20日には40歳、不惑を迎えた。数多くのバラエティ番組でMCをこなすなど引っ張りだこになり、キャリアは中堅芸人に入ったといえる。本人は「おじさんになった」と自覚することが多い。

「最初は、『あきらめ』という言葉をタイトルに使いたかったんですよ。前著が『社会人大学人見知り学部』だったので、あの本を書いた頃は30代でまだ若かったけど、僕もおじさんになったので、学校の後は会社、会社なら定年……とかけて、『諦念コーポレーション』と仮につけていたんです。でも、90年代っぽくてダサいなと(苦笑)」

しかも、親友である南海キャンディーズの山里亮太が、7月に『天才はあきらめた』と題した自著を出版。「いや、山ちゃんがダサいって言っているわけじゃないですよ。でも先に出しやがって、かぶったなーって」。山里の本には当の若林が解説を寄せている。

「締切ギリギリ、もしかしたら過ぎていたかもしれないんですけど、パッと今のタイトルが寝る前に浮かんだんですよね。鼻につく言い方ですけど、『降りてきた』(笑)。

すぐに編集さんに連絡したら、次の日にはツイッターで『ナナメの夕暮れ』発売、と流れていた。あ、もうこれで決まりなんだって。『諦念コーポレーション』になっていたらと思うとダサすぎてゾッとします」

若林のある「変化」が、ネットで話題になっている。本書の終章に書かれた「2016年の父の死をきっかけに、物事を斜に構えて見るのをやめた」というエピソードだ。同じ時期には慕っていた先輩芸人・前田健も早逝し、若林は「斜に構えてたら、人生すぐおわってしまう」と感じた。この告白には多くの反響が寄せられた。

他人を冷めた目で見ていた理由

――ネットでは、斜に構えている人が目につきます。多くのネットユーザーにも心当たりがあるからこそ、若林さんの言葉がたくさんの人に響くんじゃないでしょうか?

そう問いかけると、あの少年のような表情で苦笑いしながら「これはね、本当に大きな問題だと思います」と、冒頭のように語った。そして、社会へのささやかな違和感を、こんなふうに述べはじめた。

「戦後ずっと、日本人って豊かな生活を目指して生きてきたと思うんです。でも、バブルが弾けてから、ずっと何を信じていいか分からない、人生のベースがない状態が続いてきた。

それで、ベースがないまま、誰が正しい、何が正しいってマウンティングが盛り上がっちゃった。信仰心も薄い国で、考えの芯になるものが未だにないから、生きていていつも大変だと思うんですよ。自分の意志だけを信じて生きていくって、まぁ難しいですからね。

芯となるものはこれだと提示する、意志の力が大事なんだってビジネス書や自己啓発書が売れてますけど、書いているのは『ぶっとんだ人』ですよね。それってごく一部の成功者だからできることで、個人的にはあんまり興味を惹かれないんです。

テレビでも、自分ひとりの物事の捉え方や価値観ってそれぞれ違うのに、『あなたにもやりたいことがあるはず!』って、決まった成功の仕方を示そうとする番組もよくある。けど、『いや、本当にそうかな』って疑問に思うことも多くて。

何が正しいとか、優れているとか、そういうことじゃなくて、もっと自由に、素直に自分な好きなことに没頭できる人生が面白いんじゃないかって。そんなふうに、世の中の価値観が変わってくれば楽しくなると思うんですよ」

年をとるにつれ、「自意識が低減してきた」ことが、ナナメを修正させた。

「小さい頃から自分がダメすぎて、そういう劣等感をごまかすために、文化祭でステージに上がる人たちを『面白くもないのに』と拗ねて見ていた。スタバでカッコよく注文する人とか、ハロウィーンではしゃげる人とかを鼻で笑いながら見ていたのも、全部そんな自意識から来てたんですよね。

それが染みつきすぎちゃって、20代でお笑いライブに出ても、前に出たがる芸人を『よくやるよ』と冷めた目で見るような時期もあって。そうすると自分も前に出られないし、はしゃげなくなる。もしかしたら、みなさんの仕事でもそんなことはあるんじゃないでしょうか。

でも、いよいよオジサンになって、それなりにお金ももらっているけど、『休みになっても、はしゃげないで家にいる』ってツラいんすよ。そんなときに、はしゃぐことに関してどうして第三者の目を気にしちゃうのか考えたら、『自分自身が否定的な目で見てきたからだ』と気づいた。

またお笑いというのが、ナナメに物を見るのにぴったりな分野なんですよね。若い芸人なんて特にそうですけど、斜に構えたほうが笑いもとりやすい。でも、もうそれは十分やってきたし、改めようと思ったんです。ナナメに物を見るのが、年齢的にも似合わなくなってきた。おじさんになると、恥ずかしいという機会も減ってくるので。

それで、親父が死んだのを見て、斜に構えたままだと、人生あっという間に終わるなって考えこんじゃったんですよ。だから、今は自分のなかの『ナナメ』を殺すようにしています。エッセイを書くのも、自分のイタイところを見つめ直す作業のようなところがありますね」

「激レアさん」を引き出すのが好き

キャリアを重ねるにつれて、MCを担当する番組も増えている。かつてはオードリーの「春日じゃないほう」という扱いだったが、落ち着いた話回しのうまさやツッコミが安心感を与え、何より「尖った人」が絡むトークをとにかく盛り上げる。

先日特番が放送された『しくじり先生 俺みたいになるな!』(テレビ朝日系列)でも、解散の危機を告白した品川庄司など、「しくじったタレント」にジャージ姿で的確なツッコミをいれていた。

深夜帯の人気番組『激レアさんを連れてきた。』(同)では、「自宅の狭い長屋で狼7頭の群れを飼い、全身メチャメチャ噛まれながら暮らしていた人」「コートジボワールの超国民的アイドルと極秘で付き合って7年間誰にもバレず、結婚までいけた人」と、まさに好きなことに没頭する尖った人生の持ち主を相手に、番組を回している。

聞いてみた。最近、そういう仕事が増えたと思いませんか?

「ちょうど昨日、それを考えていたんですよ。MCのような仕事をやらせていただくようになって、『しくじり先生』と『激レアさん』は本当に運が良かったなって思っています。

成功した人、おしゃれな人の話を聴く番組もありますけど、僕には向いてないなと思うんすよ。成功してる人の成功した秘訣を聴いても、スタジオでもう何も言えることがない。スクールカーストが高かった人たちに、低かった僕が言うことはないです(笑)。

やっぱり、『しくじり先生』や『激レアさん』みたいな話が好きなんですよね。春日も激レアさんだし。

オードリーは、春日が変人で、僕がまともな感じでツッコミを入れて、という漫才を十数年やってきました。でも、漫才での自分と、もともとの若林正恭という人間とは違っていて、作家の平野啓一郎さんの言う『分人』のように、キャラクターを変えることには慣れています。そして、その関係性が楽しい。

『激レアさん』も『しくじり先生』も、構図としては漫才と同じなんです。自分でやっていて好きだから、楽しく収録もできる。『なんでオオカミを7匹も家で飼うのか』とか『なんで雷に撃たれて病院に行かないのか』とか、そんな話が好きなんです。どんな人でも、その人の年表を聴くのが本当に好きなんです」

自己啓発書なんて、強者が読む強者の本なんで、僕には関係ない。番組も一緒です――。

読書芸人としても知られるキッカケとなった、「自分の好きなことが語れる番組で大好き」という『アメトーーク!』でも、これまでとは違う出演の仕方をした。先日放送の「人見知り芸人」回で、「人見知り卒業芸人」として、MC・雨上がり決死隊の隣に座ったのだ。

女性への偏見が消えた瞬間

おなじみだった「女性が苦手」というキャラも、すっかり捨ててしまったようだ。

「自分のキャラクターについても、本当のことを言わないとやっぱりスベるんですよ。熱量が違うんです。いまさら、僕が人見知りのフリをしたり、女の子が苦手なフリをするのは限界がある。毎日、あき竹城さんや松本明子さんに会ってるんですから、人見知りも治ってくるわけですよ(笑)。それなのに、人見知りのフリまでしてテレビで笑いを取りたくない。というか取れないんです」

若い頃は「女性がエロすぎて直視できなかった」はずが、今は苦手意識もなくなった。

「『女性って、イルミネーションとラテアートが好きで、結果を出してない男が嫌いなんだ』って、マジで思ってたんです。それで、無闇に反発してた。でも、そんな自意識もだんだん減少してきたところで、作家の西加奈子さんと加藤千恵さんとお食事する機会があって。その時に腰抜かすほどびっくりしたんですよ。

僕が『イルミネーションに全く興味がない』っていう話をしても、女性への偏見を撒き散らしても、ゲラゲラ笑いながら聞いてくれた。『若林さんならそやろなー』って。自分の話を受け止めてくれる異性がいることを初めて知って、偏見もなくなっていきました。

なもんで、もう正直に行くしかないと思っています。ファンにガッカリはされているみたいなんですけど。でも、僕には僕の人生があるし、気にしていられないです。これからは自分がその時に感じたこと、面白いと思ったことを喋っていくしかないかな」

――あの頃の尖りがなくなってしまったことに、寂しさは感じないですか?

「寂しさは、あるっちゃあるのかな。怒りや復讐心で物を作る時のエネルギーって、すごいですから。

でも、それってエンジンの回転数が高いから、体力がないとできない。朝4時までファミレスで、くそーっと思いながら何かを作ったり、というのは今はできないですね。

それでも、20代には1日たりとも戻りたくないです。ピストルズを聴いて昂ぶって、原付でライブに行って漫才して、っていう青臭い日々。ベタベタになったオールスター履いて、タバコも吸って――あれはあれで良かったのかな、とは思いますけど、戻りたくはない。不思議なもんですけど。だから青春は終わったんだと思います」

かっこ悪いって、何だか楽しい

――芸風には変化がありますか?

「それがまた不思議で。落語家さんにも、その方の年齢に合った落語があるっていいますよね。若いときのほうが変わった設定のものをやっているとか、尖ったセンスに走る笑いを目指すとか、あると思うんです。

オードリーでいえば、それこそ相方をちょっと遅れて出てこさせるとか、ボケの前に僕が叩くとか。そういうズレって、他にやってる奴いないから、『こうすればお笑いファンに褒められるかな』と思ってネタを書いていた。

でも、40にもなると、愚にもつかないくだらない設定が似合うようになってくる。この前なんて、『ここからあそこまで瞬間移動できるか試す』というネタを延々20分くらいやりました。これは30歳ではできないですね。おじさんってくだらなくなれるから、すごくラクなんです。

たとえば、若い頃は服がダサいと、本当にダサくなっちゃうけど、おじさんがダサいとなんだか楽しい。今は楽しいですよ」

何かへの反発で物を言ってみたり、相手より自分が正しい、優れているとマウントをとってみたり、物事をナナメに見て論をぶってみたり……若いときには、それが楽しいこともある。しかしそこに囚われていたら、すぐに人生は終わってしまう。

意識が高くて気に食わない世の中だって、面倒に思える他人とのかかわりだって、ひとりひとりの価値観やものの見方がわかれば、面白い。ナナメの自分を全否定はしない。あの頃があったから、今が楽しい。でも、もうあの頃に戻りたくはない。

そんなふうに目線が変わることの緩やかな楽しさが伝わってくる。

ただ、そうは言っても、本人が感じている寂しさ以上の寂しさを覚えているファンもいるはずだ。南海キャンディーズの山ちゃんと若林の、世の中への不満と自意識が空回りする「足りない二人」をまた見てみたいと思ってしまうのは、筆者だけではないだろう。

「山ちゃんはデスマッチを続けていてすごいです。いま、山ちゃんとライブをやったらどうなるのかってよく考えるんですよ。

正直言うと、やりたいですよ。山ちゃんに吊るし上げられるんだろうなって。山ちゃんは僕が無理してると思っているみたいで。『変わろう変わろうとしてカッコ悪いよ、それ』とか言われましたから(笑)。

デスマッチのリングに二人で上がっても、もう同じことを考えている二人じゃなくなるのかもしれませんね」

オードリー若林正恭「マウンティングがダサい時代が来る」 - ライブドアニュース
オードリーの若林正恭は、世間などに対し30代ごろまで斜に構えていたという。しかし「もう間もなく、マウンティングはダサいことになると思う」と若林。自分が好きなものを持っていることが大事な時代になっていくと予想した

 

わかる。

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