人身事故発生→女子高校生A「死ぬ時間考えろ この時間は死ぬ時間じゃねえだろ。2時くらいに死ね」女子高校生B「だよね~」

人身事故に「死ぬ時間考えろ」 この社会、政治家は何を

人身事故に「死ぬ時間考えろ」 この社会、政治家は何を

10月末、つるべ落としの秋の暮れ、千葉邦彦さん(66)は神奈川県で所用を終えて東京都内の自宅に戻るため、電車に乗った。扉脇に立ち、到着駅を確認していく。「座間というのはここか」。翌朝のニュースで、9人の遺体が発見された地として連呼されることはもちろん知る由もない。

あ、電車が止まった。人身事故のためとアナウンス。やれやれ、まいったな。胸のうちでひとりごちる千葉さんの耳に、制服姿の女子高校生2人の会話が飛び込んできた。

「死ぬ時間考えてほしいよ。この時間は死ぬ時間じゃねえだろ。2時ぐらいに死ねよ」

「そうだよね~」

2人ともスマホの画面を見つめたまま。どうやら渋谷をめざしているらしく、手に提げた透明の袋からは、ハロウィーンの仮装用とおぼしき衣類がのぞいていた。

ログイン前の続き迷惑と感じるのはわかる。でも、「なぜあえて『2時に死ねよ』と言ったのか」。千葉さんは多くの人に考えてほしいと、朝日新聞の「声」に投書し、11月8日付朝刊(東京本社版)に掲載された。

座間に引き寄せられた「死にたい」と「2時に死ねよ」は正反対の視点だけれど、同じ土壌で育ったものだろう。共感、共生の感覚が細り、やせてしまったこの社会の土壌。

「共」の醸成は、政治の大きな役割のひとつだ。それは政策とか対策とか予算の額とかに回収される営みでは全くなく、要は、メッセージ。

共に生きる、生きよう、生きてほしいという有形無形のメッセージが絶えず発せられることで社会はうるおい、肥え、人はのびのびと根を張り、自分らしい枝を自由に伸ばすことができる。

政治の言葉は本来、社会を豊かにする力をもっているはずなのだ。それなのに。

安倍晋三首相のさらさらと流れる所信表明。「死ね」と、きゃぴきゃぴ炎上を商う国会議員。政治家が保身と目先の人気取りに専心し、そのためなら敵意をあおって社会を分かつこともいとわない。

なんなんだこれ。誰のための政治だこれ。悲しい、情けない……なんか違うな、空しい、悔しい……ああそうだ。惨めだ。五臓六腑(ごぞうろっぷ)にしみわたる、惨めさだ。

2人の女子高校生は何に仮装したのだろう。かりそめの自由を満喫し、きっともう、人身事故にイラついたことなど忘れているだろう。そりゃそうだよね。私たちは毎日忙しい。いちいち覚えてなんていられない。でもね、事故のその人は、生きているよ。

自殺をはかったとみられ、大けがを負ったが、命はつないだという。

警察への取材でそれを知った時、私は一瞬、言葉に詰まった。その人がこれから背負うであろうものの重さを思わずにいられなかったから。だけど、「よかった」という言葉が口から転がり出た。自分のその声を聞いて、今度はおなかの底から、2度目の「よかった」を言えた。

よかった。

さあ、秋から冬へ、季節はめぐる。冬来たりなば春遠からじ。生きて、生きよう、生きまくろう。

人身事故に「死ぬ時間考えろ」 この社会、政治家は何を:朝日新聞デジタル
 10月末、つるべ落としの秋の暮れ、千葉邦彦さん(66)は神奈川県で所用を終えて東京都内の自宅に戻るため、電車に乗った。扉脇に立ち、到着駅を確認していく。「座間というのはここか」。翌朝のニュースで、9…

サラリーマン時代、朝の通勤時に人身事故で電車が止まると同じようなこと考えてた。投稿者である大人は女子高生を責めるのではなく「事情を問わず遅刻を許さない社会」を作ってきた責任を自問するべきではないか。

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