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なぜ日本企業の生産性が上がらないのか? 「効率化」が「人の頑張り」に落ち着く現実

   

なぜ日本企業の生産性が上がらないのか? 「効率化」が「人の頑張り」に落ち着く現実

日本社会の「効率化」が結局、「人のがんばり」に落ち着く理由

「欧米に比べて、日本企業の生産性は低い」といった話をよく聞くようになった。効率化を図っている企業は多いのに、なぜ生産性は上がらないのか。その背景に、結局のところ「人のがんばり」に頼っている部分があるからではないだろうか。

先日、仕事の関係で「簡易書留」を送ることになった。

近くの郵便局へ行って窓口に2通の書留をお願いしたところ、封筒の宛名をハンディスキャナで読み取ってすぐにレシートのようなものを出してくれた。書留を出したことを証明する「書留・特定記録郵便物等受領証」である。

窓口に着いてから受領証をいただくまでわずか数十秒。昔はこういうのはすべて差出人が手書きで書かされていたことを考えると、窓口業務というのはITで飛躍的に効率化しているんだな、とえらく感銘を受けた。

ただ、それから数日してそことは違う郵便局で簡易書留5通をお願いしたとき、その認識が誤っていたことに気付かされる。窓口担当の女性がごく当たり前のように、複写式の「書留・特定記録郵便物等受領証」を差し出して、「そこの台でこちらに記入をしてください」とおっしゃってきたのだ。

なんだか釈然としないものの、窓口の方がおっしゃっているのだからそういうことなのだろう、と5件の宛名を受領書にすべて手書きで記入をして再び列に並んで提出をした。すると、今度は女性は机に封筒を並べて、それぞれの宛名と受領書に記された宛名を照合し始めた。丁寧なお仕事をされる方のようで、「あ、えーと、これはこれか」なんてブツブツ言いながらやっていた。最初に窓口に着いてからゆうに3分は経過している。

ほんの数日前の光景とのあまりの落差から失礼だと思いつつも、「あの……先日ほかの郵便局で出したらピッというので終わったんですけど」と疑問を口にしたところ、窓口女性は諭すような口調で答えてくれた。

「そういう方法をとることもあるんですが、書留の数が多い場合は印字スペースの関係で受領書がかなり長くなってしまうんです。だから、こちらの用紙にご自身で書いてもらうということで、窓口業務の時間短縮にご協力いただいているんですよ」

これは正直、目からウロコだった。

いま盛んに論じられている宅配業界の「効率化」にも関わる日本社会の構造的な問題が窓口女性の言葉にすべて集約されていたからだ。

筆者のような「客」の立場からすれば、封筒2通が数十秒で受付できるのだから、封筒5通もそれくらいで作業ができると勝手に思ってしまう。しかし、実際にそこで働いている人はそう考えない。ごく当たり前のように「受領書がレシートみたいに長くなったら、お客さまにご不便をかけてしまう」とあえて電子機器を使わない。つまり、これまでの窓口業務の「常識」や「ルール」を尊重するあまり、ITによる効率化が機能しないという本末転倒な現象が起きているのだ。

かといって、効率を上げないというわけにもいかないので、書留を送りたい人間は事前に自宅なりでしっかりと宛名を記入した受領書を用意してこなくてはいけない。窓口の方も、それをもらったら目を皿のようにしてなるべく早く確認をする。

ITによる効率化が機能していないことのツケを、「利用者」や「サービス提供者」という「人」が払わなくてはいけなくなっているのだ。

この問題を端的に言い表わすとこうなる。

『これまでの「品質」や「サービス」に対する考え方を改めないまま、ITによる効率化を図っても結局のところ「人の努力」にすがるしかないので効率が悪くなる』

努力を否定するわけではないが、個々の人間がいくら血へどを吐きながら効率を上げてもどこかで必ず限界が訪れる。それは裏を返せば、「効率化」の必要を叫べば叫ぶほど弱者が倒れ、組織全体が疲弊していくので効率が下がる、という負のスパイラルに陥ってしまうことでもある。

それを象徴するのが、国の生産性をあらわす「1人当たりGDP」だ。2015年の日本は「1人当たりGDP」は世界で第27位だった。そこでさまざまな有識者から、「少子高齢化の中で成長をしていくのは生産性を上げるべきだ」という提言が出た。日本政府も重要性を説くので報道もたくさん出た。

にもかかわらず、IMFが最近発表した2016年のデータでは、さらに下がって第30位に落ち込んでいる。頑張れば頑張るほど裏目に出ているのだ。

効率化、効率化、とあまりにマスコミが騒ぐもんだから、宅配業界はほとんど効率化が進んでいないというイメージを抱くかもしれないが、実はこの業界はITによる効率化をそれなりに積極的に進めてきた。

今では当たり前の再配達日時を24時間受け付けられるシステムは既に1990年代からある。2000年代前半には宅配時に留守だと受取人にメールを送って再配達の指示をしてもらうサービスも開始されている。

物流ネットワークに関しても然りで、有名なヤマト運輸の物流網を支えるNEKO(New Economical Kindly Online)システムは1974年に立ち上がってから現在は、第8次NEKOシステムの実用化が進められている。

この最新システムでは、その日の配送先の偏りや過去の配送実績というビッグデータをもとにして、最短ルートを導き出してドライバーの端末に表示する。例えば、「30分後にお届けします」というメールを見て慌てて時間変更をしても現在は対応できないが、この第8次システムが導入されれば、リアルタイムで対応ができるという。

このように宅配のIT化は20年以上前から手をつけられ、いまも現在進行形で各社がブラッシュアップを続けているのだ。にもかかわらず、実は生産性はほとんど上がっていないという厳しい現実がある。

内閣府の「サービス産業の生産性」の中にある産業別のTFP(全要素生産性)の上昇率を見ると、小売業や電信・電話業という業界が1980年から2000年にかけて一貫してプラスになっているのと対照的に、道路運送業は20年マイナスが続いている。また「大和証券」の「サービス業の生産性が向上しない要因を探る(2)」というレポートによると、陸運業の1人当たり付加価値は、製造、卸売業、小売業と比べて最も低く、この10年で右肩下がりで落ち込んでいる。

そんなもんいくら効率化をしても人手不足なんだからしょうがないだろ、という声が聞こえてきそうだが、そのようになんやかんやいっても結局のところ「人」へ解決策を求めてしまうという日本社会の風潮が、効率化が進まぬ「元凶」ではないのかと思っている。

なにかとつけて「人」に解決策を求めてきたというのは宅配業界の価格が象徴している。

27年前の社会と今の社会で「価値」が激変しているというのに、クロネコヤマトの宅配料金は据え置きだった。環境の変化を「人のがんばり」で補っていたのだ。このような「昭和の宅急便」の「常識」や「ルール」をひきずっている人々が、先端技術で効率化をすることができるだろうか。できるわけがない、と筆者は考える。

例えば、ドローンを使って効率化をするにしても、「昭和の宅配便」のカルチャーのままならば、今度は単にドローン担当者たちが「ドローン操縦地獄」に陥るだけだ。宅配ボックスを街中に完備したら再配達はなくなるかもしれないが、逆に早朝でも深夜でも配送ができるということで、「24時間宅配ボックスめぐり」を強いられるドライバーも現われるかもしれない。

誤解なきように断っておくが、決してこれらの効率化への取り組みを否定しているわけではない。これまで何もしてこなかったわけではなく、むしろそれなりに効率化を目指してきてもこの現状だということを踏まえると、いくら画期的な対策をもってきても、宅配ビジネスそのものの考え方を改めない限りは、実効性の乏しいものとなり、結局のところ「人のがんばり」に落ち着きがちだ、ということが言いたいのだ。

事実、こうしているいまも「人のがんばり」を求める声が出てきている。宅配業界の効率化議論の中には、再配達を指定しない利用者はけしからんからモラルを上げろ、という声や、配達する人が不満タラタラだし、人手不足だからとにかく賃金を上げろという声も少なくない。

「人のがんばり」を信じてなにが悪い、みんなで力を合わせればどんな逆境も克服できるはずだ、と思う方もいるかもしれない。しかし、大きな変化を前にして自分たちの発想を変えることなく、「人のがんばり」で乗り越えようとしても、残念な結果しか生まないということは歴史が証明している。

かつて日本の航空技術は世界一と言われた。その結晶である零戦は他国の戦闘機の中で、別格の戦闘能力をもっていた。

しかし、この画期的な技術をもってして、効率良く戦うということはできなかった。軍が戦局の悪化という「変化」に対応できず、これまでの「常識」や「ルール」に固執するあまり、効率化が機能せず「人のがんばり」で解決をするという最悪の戦い方に突入していく。その象徴が零戦に片道分の燃料しか入れずに敵に突っ込む「神風特攻」だ。

日本人は真面目な性格なので、周りから「がんばれ」と言われると、一生懸命がんばる。できないと、まだ甘えているからだと自分を責める。そして、がんばった人は周囲にも自分と同じような「がんばり」を期待する。これが強要になると、パワハラへとなっていく。

「がんばり」を否定しているわけではない。ただ、世の中にはそれだけでは解決できないものがあるのだ。

それを解決するために新しい技術がある。それに機能させるためには、それに見合った新しい考え方やルールを受け入れる必要があるのだが、日本人はこのあたりがあまり得意ではない。

じゃあ、具体的にどんなも新しい考え方なのだ、と思うかもしれないが、部外者がああだこうだと言う前に、そこはさすがに当事者のみなさんたちはもう気付いている。

例えば、ヤマト運輸は佐川急便、日本郵便と首都圏の高層ビルなどで荷物を1社に集約して配る連携策を強化する方針を明らかにしている。いずれは、高層マンションや一戸建てに広げていくという。

同じ空間を、さまざまな宅配便のドライバーたちが台車を押してかけ回っているというのは、「昭和の宅配便」からすれば、健全な競争だが、人口が減ってネット通販がこれだけ普及した時代になると、利用者にとってもドライバーにとっても効率の悪いこと極まりない。宅配ドライバーのみなさんが大切な社会インフラだとすれば、その限りある資源をみんなで守りつつ、業界として取扱量を増やしていくとなると、おのずとこういう考え方になっていくのだろう。

つまり、ドローンだ、宅配ボックスだ、というさまざまな取り組みを機能させるためには、まずは「ヤマトの荷物を佐川のドライバーが運んでもいい」という新しい考え方を受け入れる必要があるのだ。

もうそろそろ「人のがんばり」に依存した成長を止めにしないか。

http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1703/14/news037.html

いまだに長時間労働が美徳の国だからなぁ…(;゚・∀・)

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