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ホリエモンが断言、10年後は「遊んで暮らせる時代」がやってくる

   

AIが人々の仕事を急速に奪い、社会を瞬く間に刷新しようとしている。大学を出て、結婚して、会社に就職して、子どもができて、家や車を買って、引退して、年金で悠々自適に生活して……といった生活を送ることは、もうほとんどの人にとって無理な話だ。過去に築き上げられた“常識”が通用しない現在、「こんな人生が幸せである」といった理想の人生モデルが崩れかけているのだ。そこで堀江貴文氏が、AIが台頭する激動の時代に「自分で生き方をデザインする術」を指南する。

食べていくための安い仕事にしがみつくな

 世界的ベストセラーになった歴史書『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 河出書房新社)に、「人間はかつて穀物の家畜だった」といった記述がある。これは、言い得て妙である。人間が狩猟民族だった時代、人々はきっと楽しんで狩りに取り組んでいたはずだ。 

しかし、農耕生活をはじめたことで、生きるために嫌でも畑を耕さなければならなくなった。そのために人は個人から家族という集団で暮らすようになり、一家の住む土地に根を張って生きていくことを強いられ、結果として住む地域や仕事を選ぶ自由を失っていった。

しかし産業革命以降、機械による自動化によって、人は必ずしも生きるために働く必要がなくなったはずだ。それにもかかわらず、安い仕事に文句を言いながら渋々働いている人が大勢いることが不思議でならない。

実は、「食べていくために」安い仕事で我慢している人の存在がなくならない以上、労働単価が上がることはない。

たとえば、賃金が安いからとやめてしまえば、雇う側は賃金を上げて募集をせざるをえなくなる。やめている間は、C to Cのビジネスなどをすれば当面は困らないのだが、多くの人はなぜか歯を食いしばって苦しそうに働いている。「こうあるべき」という妄想に意味もなく囚われるのは、もうやめにしよう。

AIに仕事を奪われてもなんら問題はない

AIや技術の発達により、今まで人間がやっていた労働を機械やロボットが肩代わりしてくれる時代が必ずやってくる。たとえば、食器洗浄機やロボット掃除機によって、面倒な手仕事は世の中から消えつつある。また、精密機器の製造もすでに人の手を離れた仕事の一つで、部品作りはすでに自動化されている。

人間の労働が機械によって代替される事例が増えるにつれ、「AIに仕事が奪われる」といった悲観論を最近よく聞くようになった。仕事がなくなる、お金を稼げなくなると、生活に不安を感じている人もいるだろう。

ただ、もしそうなっても、なんら問題はない。人間がやらなければならなかった仕事の時間が減り、自由な時間が増えるだけの話だ。さらに、生活コストはどんどん下がっていくので、何も無理に働いてお金を得る必要もなくなっていく。

たとえば、農業は人の手間を減らしながらも収穫量が増えている。今後は、さらに手がかからなくなるのだから、食費は今以上に安くなる。お金がなくても十分に食べていけるようになる世界は、そう遠くない。ロボットが社会全体の富を自動的に作り出し、個人に利益をもたらしてくれるのだ。

では、その浮いた時間で何をすればいいのか? ひたすら好きなことをしていればいいのである。もしかすると、「好きなことばかりしていたら、仕事が減り、収入が減る」と言う人がいるかもしれない。たしかに、生活するにはまだまだ一定の収入が必要な時代だ。ただ、そういった人たちには、「現代は好きなことでお金が稼げる時代だ」と教えてあげよう。

自分の「好き」という感情に、ピュアに向き合い、ひたすらに没頭すれば、いつかそれは仕事になる。

これからの時代において、「仕事がないから、収入がない」というのは、言い訳に過ぎない。誰にとっても、仕事は「引き受ける」ものから「作るもの」へと変わっていくのだ。

「収入源」という概念がすでにおかしい

「仕事が奪われる」とか意味のない心配をしている人に言いたいのだが、まず「収入源」という概念がおかしい。そんな考えは捨ててしまっていい。

僕が「働かなくてもいい」と言っている背景には、「本当に働かなくても生きていける」ということと、「労働をしなくても、遊びを極めることでお金が稼げる」という2つの意味がある。

順を追って説明しよう。「本当に働かなくても生きていける」ということの代表的な考え方の1つが「ベーシックインカム」だ。

「ベーシックインカム」とは、政府が国民に一定額の現金を支給する制度のこと。就労や資産の有無にかかわらずすべての個人に対して、最低限必要なお金を無条件で給付する制度を指す。2016年6月にスイスがこの制度の導入を国民投票で問い否決されたが、日本では導入するべきだと思う。

すべてが逆転するこれからの働き方

この世の中には「働く」ことが不得意な人間が一定数いる。そうした人たちに労働を強いるより、働くのが好きで新しい発明や事業を考えるのが好きで本気で働きたい人間にのみ、どんどん働かせたほうが効率がよい。また、ベーシックインカムという最低限の収入が担保されたことで、起業など若者がチャレンジしやすい環境になる。

2017年10月に東京都の最低賃金が932円から958円に引き上げられたが、1円単位で上げていくようなことをするのなら、さっさとベーシックインカムを導入すればよい。僕はこのことを2009年の時点でブログで提唱している。

実は、多くの企業は不況時に無理矢理仕事をつくって雇用を維持した結果、赤字になっている。つまり、社員たちに給料を払うために社会全体で無駄な仕事をつくっているのだ。その中で、皆が労働信仰に支配されてイヤイヤ働いている。

だったら政府からお金をもらって好きなことをすればいい。そうすれば「絶対やらなきゃいけない」種類の仕事の給料は上がるし、もし仕事がなくなったとしてもベーシックインカムがあるから安心だ。本気で働きたい人の勤労意欲も、おしなべて上がるだろう。

これから日本全体がよい方向に向かっていくためには、高給で働く能力のある人だけが高給取りとして働き、その能力がない人は国からお金をもらって好きなことをして生きていけばよい。そのほうが一人ひとりにのしかかるストレスも少なくなり、生産性も向上する。そもそも生活コストが下がっていくのだから、苦しい思いをしてまでお金を稼ぐ必要なんてない。日本人が総体として幸せでハッピーに暮らせる方法を考えるべきだ。

仕事と遊びの境界が溶けはじめた

20年以上前のことだが、パン工場で一晩だけ、商品の仕分けのアルバイトをしたことがある。はっきりいって、何の面白さも見いだせない仕事だった。しかも、対価はたったの1万円。もう二度と、その仕事をすることはなかった。

振り返ってみれば、19~20世紀はとにかく産業を効率化しなければいけない時代だったと思う。特に工場作業は、どんどん機械化が進められていた。僕がパン工場で働けたのは、機械で自動化するよりも、人間をアサインしたほうがコスパがよかったからだろう。

ところが21世紀になって、IT技術が発達し、人間はもう面白くない仕事をしなくてもよくなってきた。効率的に機械化できる領域が増し、人はある程度、自分が興味を持てる部分を選べるようになっている。

現在は、お金を得る手段が労働に対する対価だけではなくなってきた。polcaでお金を集めたり、クラウドファンディングで支援を募ることも珍しくない。そうすると、相対的に“お金”の価値が下がっていく。面白いアイデアを持っている人の元に、どんどんお金が集まるようになった。もう、仕事と遊びの境界線なんて、あってないようなものだ。

HIU(堀江貴文イノベーション大学校)にも、「ニート女子ですが、トライアスロンに初挑戦するので応援してください」と言うだけで、15万円も集めた子がいる。現在進行中の宇宙開発プロジェクトで、「ロケットの打ち上げボタンを押すことができる権利」をクラウドファンディングで1000万円で提示したところ、ノリでポチった人もいる。僕にいわせれば、こういった自分がやりたいこと、楽しいと思うことでお金を得ることだって、立派な仕事の1つだ。

AI時代に求められる、人生における幸福の再定義

人間が、5年先の未来を占うことはほとんど不可能に近い。今から10年前に、スマートフォンを手にし、歩きスマホをしながらツイッターを眺めている未来を想像できた人がいただろうか?少なくとも、僕は予測できていなかった。今の時代、未来を予測して手を打つなんてことは、もう無意味だ。もはや、世界中の誰も未来を正確に言い当てることなど、できない。

この手の話をすると、食い扶持をつくろうと「副業」をはじめようとする人たちがいるが、僕から言わせてもらえば「副業はダサい」。この一言に尽きる。誤解がないよう、その理由をロジカルに説明させてもらおう。

そもそも「副業」と言うからには、その対立概念に「本業」というものが存在する。僕はこの「本業」と「副業」の構図に、強烈な「リスクヘッジ」の匂いを感じざるをえない。

おそらく、「二足のわらじ」を目指すほとんどの人は、「本業」を食いっぱぐれのない「ライスワーク」として位置づけ、「副業」を本当にやりたい「ライフワーク」ととらえているのだろう。ただ、僕からすれば、なぜ本当にやりたい仕事で人生を満たそうとしないのか、理解ができない。

きっと彼らの言い訳はこうだ。「家族を養わなきゃいけない」「やりたいことも大事だが、世間体も大事」「一歩踏み出すのが怖い」。悪いが、僕にはそんな中途半端な思いで打ち込む「副業」とやらのクオリティなんて、まったく信用できない。「そこには、ピュアな情熱や社会的な使命感なんて存在しないだろう」と思えてならない。そんな事業を誰が応援するだろうか。

「遊ぶ」「働く」「学ぶ」の三位一体の生き方

僕は、「遊ぶ」「働く」「学ぶ」を同化させた、三位一体型の人生を送っている。「遊ぶ」「働く」「学ぶ」を一緒にするというのは、それぞれの間に区切りを設けないということだ。人生におけるすべてのアクションが、遊びとも、仕事とも、勉強とも解釈できる。「遊び」と聞いて少し難しく考えてしまう人は、興味があること、熱中できることだと置き換えてもらっていい。

とにかく、自分の楽しいと思うことを追いかけ、その中で他人との差別化を行なえば、その興味は、いずれ仕事になる。信じられないかもしれないが、興味を持つことが、熱中することが、遊び狂うことが、仕事になるのだ。そのような状態を、僕は「遊び倒す人生」だと考えている。

メジャーでなくニッチなことであれば、ライバルは少ないし差別化も楽だろう。「ニッチなら、市場が小さいのでは?」という心配も皆無だ。インターネットの出現により、世の中は極端に狭くなっている。たとえニッチ市場であっても、世界規模で見れば大きな市場規模となるのだから、むしろチャンスしかない。

ニッチな市場でも、そこに小さな1を足し続けていくことが、今後到来するであろう「仕事のない世界」をサバイブする秘訣だ。小さくても何かを成し遂げることが自信となり、さらに新しくて面白いことにチャレンジできるようになる。

https://www.sbbit.jp/article/cont1/35228

 

これは禿同。

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