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「朝日ぎらい」な人々が世界各国で急増している理由

   

「朝日ぎらい」な人々が世界各国で急増している理由

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「朝日新聞」を批判する言説は、今やひとつのマーケットを確立したと言っていいほど巷に溢れている。なぜ「朝日」に象徴される「日本のリベラリズム=戦後民主主義」はこれほど激しく嫌われるのか。話題の新刊『朝日ぎらい』でその背景を分析した、作家の橘玲氏が語った。
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「朝日」を見たら読まずに「嫌い」
『朝日ぎらい』発売後の反響を見ていると、世の中にはあらゆる物事を「党派」に分けて判断したがる人がいかに多いか、よくわかります。

本書に関するネットのレビューには、「朝日新聞出版が発行しているんだから、朝日を擁護する内容に違いない」と決めつけて、「こんな本は絶対に読まないし、買わない」と書き込む人や、「自民党のことを『保守』と解釈している時点で、この本は終わっている」といった意見がありました。

本の冒頭で断っているように、これは朝日新聞を擁護するものでも、批判するものでもありませんし、目次の最初には「安倍政権はリベラル」とはっきり書いてあります。

「読みたくない」「買わない」というのもひとつの意見なのかもしれませんが、「自民党を『保守』と解釈している」という類のレビューは、本文はもちろん目次すら読まずに書かれたものです。

なぜ内容もわからない本の「レビュー」が堂々とできるかというと、あらゆる物事を「党派」に分け、「俺たち」に属さない者に「敵」のレッテルを貼って批判することが絶対の正義だと信じているからです。

世界を善と悪に分割してしまえば自分の立ち位置が安定するし、仲間がいるから安心できる。そういうシンプルな生き方しかできない人が、日本にも世界にもものすごくたくさんいます。

これが、『朝日ぎらい』を朝日新書でしか出せない理由でもあります。他社から出したとしたら、たちまち「アンチ朝日」の党派に組み込まれて、毎月「朝日ぎらい」をやっているひとたちと一緒くたにされるのは間違いありませんから。

リベラル化する世界

 本書のテーマは朝日新聞の報道や論説を検証することではなく(そういうのはネットや書店に氾濫しています)、「朝日ぎらい」という日本に特有の現象を分析することです。

もともと私は、数多ある報道機関のひとつにすぎない朝日新聞が、なぜこれほど議論の焦点になるのか不思議に思っていました。そんな中で、2016年にアメリカでトランプ大統領が誕生し、イギリスが国民投票でEUから離脱すると表明した。それで、日本における「朝日ぎらい」と同じような現象が、「リベラルぎらい」あるいは「反グローバリズム」として、世界各地で同時多発的に起きていることに気づいたのです。

昨今、「リベラルが退潮して日本は右傾化した」とよく言われますが、私はそうは思いません。本書で詳しく書きましたが、むしろ日本でも世界でも、人々の価値観はますますリベラルになってきている。退潮しているのは、あくまでも日本独自の「戦後民主主義」です。

例えば先日、サッカーのワールドカップで日本とコロンビアの試合が行われた後、コロンビアサポーターの男性が日本人女性にスペイン語で「私は売春婦です」と言わせた動画が世界中に流れました。このとき、多くのコロンビア人が「国の恥だ」「ひどい」といった声を上げ、コロンビア外務省もツイッターで「許されない行為」と表明し、動画を撮影したサポーターは謝罪しました。

このような出来事は、ひと昔前なら「ちょっとしたジョーク」で「大騒ぎするようなことではない」と済まされていたでしょう。しかし現在ではたちまちネットで炎上し、政府機関までが謝罪や釈明に追い込まれます。世界の「リベラル化」が進んだことを示す好例でしょう。

一方、日本の右傾化については、その象徴として「ネット右翼」の存在が取り上げられますが、彼らのイデオロギーは保守=伝統主義とは関係がありません。彼らが守ろうとしているのは日本の伝統や文化ではなく、「自分は日本人である」という、きわめて脆弱な「アイデンティティ」です。

「日本人」というアイデンティティしかないから、中国や韓国から日本を批判されると、自分が直接攻撃されたように感じて強い怒りを覚える。しかし、言葉が通じないなどの物理的制約があって、ソウルや北京に乗りこんで抗議行動を起こすことはできない(もちろんそんな度胸もない)。

彼らにはどうしても「(安全に叩ける)敵」が国内に必要で、そこで、東京の新大久保や大阪の鶴橋でヘイトデモを行ったり、中国や韓国の主張に一定の理解を示す朝日新聞や、リベラル系の政治家を激しく攻撃したりするのです。

つまり、「日本の右傾化」の正体とは、嫌韓・反中を利用した「アイデンティティ回復運動」のことなのです。

吹き荒れる「アイデンティティ闘争」
「アイデンティティ闘争」はリベラル化・グローバル化・知識社会化へのバックラッシュ(反動)で、日本だけでなく、世界中で起こっている現象です。

たとえば、19世紀半ばから100年近くもイギリスに植民地支配されてきたインドでは、「不合理な身分差別制度が社会に根付いたのは、イギリスがインドを分断統治するためにカースト制度を利用したからだ」という“歴史修正主義”が台頭して、「インド人をカーストの桎梏から解放した」というイギリスの歴史観と真っ向から対立しています。

またアルジェリアでも、長らく同国を植民地支配してきたフランスに対して、謝罪を求める機運が高まっています。

かつてヨーロッパの知識層は、「日本が中国や韓国といまだに揉めているのは、植民地支配の歴史を清算していないからだ」などと指摘していました。ところが現在は、ヨーロッパ諸国も過去の負の歴史を糾弾されるようになった。イスラーム圏でIS(イスラーム国)が一定の支持を得ているのは、テロを否定しつつもその歴史観に同意する層が(かなり広範に)いるからでしょう。

日本と中国・韓国の間の歴史問題は、「近代の歴史そのものを再定義する」という世界的な「アイデンティティ闘争」の前哨戦だと私は考えています。

既存の価値観がひっくり返る
逆説的なようですが、こうした「アイデンティティ闘争」が活発化しているのも、ほかならぬ「世界のリベラル化」が進んでいることが理由です。

「自由な個人が、自らの可能性を社会の中で最大化できる」というリベラルの理想を追求していけば、差別によって自由を抑圧する植民地支配の歴史は全否定されるほかありません。

世界のリベラル化が進めば進むほど、多くの国から「私たちも差別・抑圧されてきた」という声が次々と上がるようになります。最近盛り上がっている「#metoo」運動も、隠蔽されてきた女性差別を告発するという点で、同じ構造をしています。

いわゆる「慰安婦問題」にしても、「私は強制的に売春婦にされた」と声をあげる女性が出てきたら、彼女たちの損なわれた人権を取り戻すのがリベラルの立場です。国際社会では慰安婦問題は女性の人権問題で、北朝鮮によって拉致された被害者・家族の人権の回復を目指すのも同じです。「北朝鮮による拉致は人権問題で、慰安婦は歴史問題だ」という右派の使い分けが相手にされないのは当然です。

こうした近現代史の再定義は、先の大戦における原爆投下の是非についても顕著です。

これまで日本人は、「原爆投下は『天災』のようなもので仕方がない」とある意味諦めてきましたが、近年にわかに「原爆投下は戦争犯罪だ」という声が高まってきており、国際社会でも徐々にこの主張が受け入れられています。

一方のアメリカは、長年「原爆投下は、戦争を早く終わらせるためにやむをえなかった」「原爆の犠牲によって、何百万人もの命が救われた」と正当化してきましたが、こうした自分勝手な主張が難しくなってきた。そこで最近では、「日本軍による南京大虐殺のようなジェノサイドを防ぐためにアメリカは原爆を投下した」というロジックを持ち出すようになっています。

私がこのことに気づいたのは米・ロスアラモスにある原爆資料館を訪ねたときで、そこには(原爆とはなんの関係もない)南京事件のパネルが大きく展示されていました。いずれはこれがアメリカの考える「公式の歴史」になっていくかもしれません。

このように、世界でリベラル化とそれに伴うアイデンティティ闘争が進んでいくと、これまで「正しい」とされてきた価値観や歴史観が、次々とひっくり返ってしまうのです。

なぜセレブと企業はリベラル化するのか
こうした状況は、政治の世界はもちろん文化やビジネスにおいても止まらないばかりか、ますます進んでいくでしょう。なぜなら、グローバルに活動しようと思えば、「リベラル化」に適応するほかないからです。

その好例が、大統領就任式におけるアメリカのセレブリティやスターたちの振る舞いです。

2013年、オバマ前大統領が二度目の大統領就任式に臨んだ際には、歌手のビヨンセがアメリカ国歌を歌い、場を盛り上げました。ところが昨年1月に行われたトランプ大統領の就任式では、依頼されたすべての歌手が参加を断ったようです。

その理由は彼らが「反トランプ」だからではなく、世界各国にファンを持つ「グローバルなスター」だからです。

詳しい解説は本書に譲りますが、ここでは大雑把にアメリカの人口を3億人、欧州を3億人、日本を1億人として、それぞれの地域での保守:リベラルの割合を7:3と仮定しましょう。保守が多数を占めるのですから、それぞれの国では「右傾化」が進んでいるように見えます。

ところが、トランプを支持する人々は「アメリカ国内の保守派」だけですから、多く見積もっても約2億1000万人。一方で、それ以外の人々は世界で4億9000万人に達します。グローバルなスターにとっては、トランプ支持の2億1000万人を喜ばせるより、それ以外の4億9000万人にアピールすることがはるかに重要なのです。

同様に、世界でビジネスを展開するグローバル企業も、経済合理性で考えれば、リベラル化するしか道はありません。中国での売り上げが日本より何倍も大きいのに、経営トップが「南京大虐殺は幻だった」などと言えば、たちまち巨大な中国市場を失ってしまいます。

「人種や国籍、性別にかかわらず、すべての人(顧客)を平等に扱う」というリベラルの普遍原理を貫徹しない限り、世界でビジネスを行うことはできない時代なのです。

「ダブルスタンダード」の罠
ただ、こうして世の中のリベラル化がどんどん進んでいくと、生きづらさを感じる人も増えていきます。というのも、「ダブルスタンダード」と見なされる言動が激しく攻撃されるようになるからです。

口では「暴力はいけない」と語る政治家が家族に暴力を振るっていたり、「家族が大切だ」と言いながら不倫していたりすれば、それが明るみに出た途端、徹底的に糾弾されます。昨今では、政治家や官僚、大学教授の不倫やセクハラ発言が大きく取り上げられますが、「よくあること」で済まされなくなったのは、昔に比べてダブルスタンダード(あの人ならしょうがない)が許されなくなったからでしょう。

海外でも、インテルのCEOが過去の従業員との「不適切な関係」を理由に辞任に追い込まれたほか、大手動画配信会社のネットフリックスは、セクハラ防止策として「他人を続けて5秒間以上見つめない」とか「長いハグはしない」といったルールを撮影現場に導入しているそうです。日本も遠からず、そのようなPC(政治的に正しい)社会になってゆくでしょう。

道徳的にきびしくなる一方の社会を生き抜くのに必要なのは、高度な「道徳センサー」です。世の中の道徳基準がどこにあって、許容範囲はどのくらいなのかを的確に察知する鋭敏な道徳センサーを持った人が、リベラル化してゆく今後の世界ではうまく立ち回れます。

ただ、そのセンサーを機能させるには、高い知能と高度なコミュニケーション能力も必要で、それを備えていない人はますます生きづらくなり、脆弱なアイデンティティにしがみつくようになる。とりわけアメリカでこの傾向は顕著で、民主党を支持する東部や西海岸のエリート・富裕層と、ラストベルト(錆びついた地域)に取り残されたトランプ支持のプアホワイト(白人至上主義者)の対立がはげしさを増しています。

ダブルスタンダードを排し、シングルスタンダードを徹底するのは、リベラル化が進む社会で生き残るために必須のスキルです。

個人も組織も、言うこととやることを一致させる。世の中の常識から多少外れていても、元ライブドア社長の堀江貴文さんのように、「言っていること」と「やっていること」が一致しているほうが、むしろ信用力が高まる世の中になりつつあるのだろうと思います。

その点、朝日新聞に代表される「日本のリベラル」はダブルスタンダードの罠に陥りやすい。

例えば今、リベラル系のメディアは、政府が進める裁量労働制の拡大に反対の論陣を張っていますが、テレビも新聞もそれを報じている記者たちは裁量労働制で働いています。

また、リベラルは男女のジェンダーギャップを認めませんから、リベラルを標榜するメディアは当然、役員や管理職における男女比率がほぼ同じはずですが、実際はマスコミ各社の幹部は「日本人」「中高年」「男性」という属性で占められ、なんの多様性もありません。

リベラルを名乗る以上、リベラルがどのようなものか、身をもって示す責任があります。これはリベラリズムが近代の普遍の原理だからで、だからこそ(シングルスタンダードの)リベラルは社会に対して大きなちからを持つし、逆にダブルスタンダードをはげしく攻撃されることになるのです。

リベラルこそ「愛国」を考えるとき
もうひとつ指摘しておきたいのは、これからの日本のリベラルは「国の愛し方」を示さなければならないということです。

戦後の「朝日的リベラル」は、「愛国」と「軍国主義」を同義であるとして厳しく批判してきました。その結果、「生まれた国をなぜ愛してはいけないのか」という素朴な疑問にうまく答えられなくなり、「愛国」を右翼の独占物にしてしまった。こうして日本的リベラルは「愛国でないもの」――すなわち「反日」のレッテルを貼られることになったのです。

ここに、「朝日ぎらい」の大きな理由が潜んでいることは間違いありません。

敗戦や植民地の歴史を持つ国民は、自国の近現代史に屈折した感情を抱いてしまうものです。アメリカでは、リベラルな知識人でさえ「デモクラシーを守るために戦い、勝利した」というシンプルな「正義の物語」を奉じていますが、世界的にはこうした「愛国リベラル(Patriotic Liberal)」はごく当たり前の政治的立場です。なぜなら、国を愛していない者には国について論じる理由がないから。

日本は戦争に敗れた1945年に、軍国主義と一緒に愛国主義を葬ってしまい、それから長い間、「新しい愛国の物語」を作ることに失敗してきました。「朝日ぎらい」を乗り越えるには、リベラルこそが、(リベラルとして)国を愛する論理を構築し、提示する必要があるのではないでしょうか。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180711-00056469-gendaibiz-bus_all

 

相変わらずくだらねーし、もう飽きたわこの話(;´Д`)

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